新聞配達ワーク コラム「新聞配達の昔~現代」

コラム「新聞配達の昔~現代」Column

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新聞配達の昔~現代

初回のコラムでもお伝えしましたが、新聞の始まりは「瓦版」と言われています。瓦版は街の中で情報を読み上げながら、大衆の気を引き売っていくスタイルでした。明治になり「新聞」という媒体に変わりましたが、当初は八百屋や魚屋などの商店に置いてもらい販売する手法だったようです。今でいうとコンビニに雑誌を買いに行くようなイメージでしょうか?日清戦争、日露戦争の頃は国民の関心も高く、街中の新聞を設置している商店に庶民が殺到し、新聞は販売部数を大きく伸ばしていったようです。国民の生活が脅かされるようになるかもしれない事態なので、当然と言えば当然のことですね。他に戦争の状況を知る手段は無かったでしょうから。

その後新聞配達のシステムが生まれ、時代劇で見るようなはっぴを着て天秤棒を担いだ新聞配達人が各家庭に配達するようになりました。この戸別配達制度が定着することにより、新聞の販売部数も飛躍的に増えていきました。わざわざ買いに行かなくても届けてくれるのだから、忙しい庶民にはありがたいシステムが構築されることになります。情報の伝達もよりスムーズになったことかと思われます。

ちなみに当時の新聞配達人は女性に大変もてたようです。新聞配達人が政治家の妾の下女と駆け落ちしたとかの記事が、新聞で報道されたりしたこともあったようです。今の新聞配達スタッフからしたら羨ましい時代と言えますね(笑)実際「新聞小政」と呼ばれた横浜の新聞売り「安藤政次郎」の、当時の写真はなかなかのイケメンです。整った顔立ちといなせな雰囲気を漂わせたその1枚は、女性にモテたのも納得できる代物です。この「新聞小政」こと「安藤政次郎」は、その後故郷の豊橋駅前に「安藤動物園」を創設したというから、列記とした事業家だったようです。この「安藤動物園」は昭和6年政次郎の遺志に従い豊橋市に寄贈され、「豊橋総合動植物公園」として現在も続いています。「豊橋総合動植物公園」の一角には政次郎の子息が建てた「安藤政次郎翁追憶之碑」が建てられていますので、もしこの公園にお寄りの際はご覧になってください。

こういった歴史を経て、現代の新聞配達は主に大手新聞社系統ごとの新聞販売店から配達されるシステムが構築されていきました。特定の新聞のみを扱う「専売店」、専売店が他紙も扱う「複合店」、地方など人口の少ないエリアで全ての新聞を取り扱う「合売店」の3種類に分かれています。この新聞販売店で働くスタッフの業務内容は、主に朝刊・夕刊の配達、集金、勧誘営業などになっています。ご存知の通り配達は主にスーパーカブやスクーターで各家庭を回ります。昔のように天秤棒を担いで街中を走り回るわけではないので、原付バイクの運転さえ出来れば誰でも簡単に出来る仕事です。基本的にアルバイト・パートの方は配達のみか配達&集金の場合が多く、正社員はそれに加えて新聞勧誘営業を行うことになります。新聞に限らず顧客開拓営業は大変な業務ではありますが、契約に応じて歩合が付き高額収入につながるので、やりがいのある仕事と言えるでしょう。

2017年10月のデータでは、新聞配達に関わる従業員は日本全国で30万人となっています。2001年時点の従業員は約46万人だったので、16年の間に約36%も減ってしまったことになります。インターネットの飛躍的な普及により新聞発行部数は減りつつありますが、それ以上の比率で従業員が減少しているのが現状です。その分従業員の仕事量が増えて行っているのでしょう。何処の新聞販売店でも人手不足と言われています。 求職中の方は一度検討してみてはいかがでしょうか?

毎朝新聞配達のバイクの音で目を覚ます方もいらっしゃるかと思いますが、新聞に載っている情報だけではなく、新聞を各家庭に毎日届けている新聞配達員の努力を少しでも感じてもらえれば幸いです。