毎日新聞の歴史
東京日日新聞として創刊された現在の毎日新聞
日本の三大紙である読売新聞・朝日新聞・毎日新聞の中でも最も古い歴史を誇るのが毎日新聞です。 1872年(明治5年)3月29日に、東京浅草で日報社から「東京日日新聞」として創刊されました。ちなみに1871年(明治4年)に創刊された、日本での日刊新聞の始まりと言われる「横浜毎日新聞」とは、名前は似ていますが全く別の新聞になります。こちらは当時の神奈川県知事が横浜の貿易商らに呼びかけ作られたもので、横浜の貿易・経済のニュースが中心だったようです。「横浜毎日新聞」はその後改題を繰り返し、1941年(昭和16年)に廃刊となりました。
「東京日日新聞」は1875年(明治8年)から、世界で初めて新聞の戸別配達を実施します。前回のコラムにも書いた、はっぴを着て天秤棒を担いだ新聞配達人により各家庭に届けられるスタイルだったようです。新聞が戸別配達されることにより「東京日日新聞」は発行部数も伸びていきました。それにしても世界初というのがすごいですね。これを考案した人物がどなたかは分かりませんが、新聞メディアの普及に大きく貢献したと言えるでしょう。
大阪日報創刊と合併
その後1876年(明治9年)に大阪で創刊された「大阪日報創刊」(後に「大阪毎日新聞」に改題)が、1911年(明治44年)に「東京日日新聞」と合併されます。合併はしても「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」の題号は変更せず、そのままの名称で全国に拡販されていきました。そして太平洋戦争真っ只中の1943年(昭和18年)に、「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」の題号が統一され「毎日新聞」と生まれ変わります。
時代は少し遡りますが、1924年(大正13年)第一回選抜中等学校野球大会を「大阪毎日新聞」が主催。現在も続く選抜高校野球大会の始まりです。第1回は名古屋市の山本球場で行われました。出場校は、早稲田実業(東京)、横浜商(神奈川)、愛知一中(愛知)、立命館中(京都)、市岡中(大阪)、和歌山中(和歌山)、高松商(香川)、松山商(愛媛)の8校となっており、現在と違い規模も小さかったようです。トーナメント方式で試合が行われ決勝戦は早稲田実業と高松商が対戦、高松商が完封勝利を収め、輝く第一回優勝校となりました。第二回以降は場所も阪神甲子園球場に移され、1942年~1946年の太平洋戦争時を除き毎年実施されてきました。毎日新聞は朝日新聞と同じく、高校野球の育成と発展に大きく貢献をしてきたのです。
新聞の不買運動にまで発展した西山事件
戦後、順調に発展してきた毎日新聞は、1972年(昭和47年)に起きた「西山事件」でその地位を大きく揺るがすことになります。これは毎日新聞の西山記者が外務省の女性事務官を利用して沖縄返還協定の密約の機密情報を入手、それを社会党の議員に漏洩したという事件です。西山記者と女性事務次官はその後国家公務員法違反として有罪判決を受けますが、事件はそれだけでは終わりませんでした。毎日新聞には世間の批判が集中し、新聞の不買運動にまで発展してしまうことになります。
これにより毎日新聞の発行部数は大きく減少、さらにオイルショックの景気悪化が重なり、1977年(昭和52年)には債務超過に陥る事態になってしまいました。これを打開するために毎日新聞は新旧分離を行い、新法人にて事業を継続、旧法人にて債務返済に専念することになります。そして8年後の1985年(昭和60年)に債務返済が一段落、旧法人が新法人を吸収し会社再建計画が終結します。
最古の歴史を誇る毎日新聞
再建された毎日新聞は、1987年(昭和62年)には紙齢4万号、2015年(平成27年)には紙齢5万号を迎えます。5万号とは凄いものですね。自分も子供の頃は毎日小学生新聞を愛読していたものです。殆ど「がんばれゴンベ」などの漫画を読むだけでしたが(笑)それはともかく、明治5年から続く現存する日刊紙として最古の歴史を誇る毎日新聞。その長い歴史の中では紆余曲折もありましたが、新聞協会賞の最多受賞新聞として、これからも安定的な報道、文化・スポーツの普及に貢献して行って欲しいと思います。